おいち不思議がたり 星に祈る
「おいち不思議がたり 星に祈る」 あさの あつこ PHP
主人公のおいちは、不思議な能力を持っています。何かの拍子に先のことが分かってしまうのです。こんなおいちですが、医師の父の元で診療の手伝いをしながら、医師になる希望を持っています。父が不在の時には、父に代わって患者の手当をすることもできるようになっています。おいちは飾り職人の新吉と将来一緒になりたいと思ってはいるのですが、医師への道を究めたいという思いとで迷っています。長崎から江戸に戻った女性医師のもとで修行をしたいという思いが強くて、結婚してしまうと、その願いが叶えられないと悩んでいたのです。
そんな時、近所の老女の行方が分からなくなってしまいます。皆で探したのですが行方はようとして分かりません。見つかった時には、全身に吹き出物ができてひどい状態でした。そんな時に、江戸の町では御薦(おこも)さんが三名も行方不明になっているのも分かります。御薦さんとは物貰いのことで、様々な場所で食料や黄金を貰って生活しています。調べていくと、長崎でも似たような事件があったことも分かってきます。
岡っ引きの仙五郎もこの件については何かを感づいていて、調べをしています。おいちも、できる限りのことを調べていきます。仙五郎もおいちも命が危なくなる場面も出てきますが、最後には事件の全容が分かり、犯人も特定できます。
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文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ
「文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ」 金 ヨンロン 岩波新書
東京裁判が終わってからも、戦争について多くの文学者が作品を書いてきました。裁判そのものの不十分な点を題材にしたり、取り上げられなかった罪についても作品で問うことをしています。この裁判には、何人かの文学者が傍聴人として裁判の行方を見ていました。悲惨な戦争の責任を問うだけでなく、なぜこのような戦争に導いていかれたのかも知りたかったのかもしれません。
戦争指導者の責任を問うA級裁判だけでなく、B、C級裁判の不十分な点や不公平を取り上げた作品も多くあります。
遠藤周作の「海と毒薬」を読んだときには、人の命を救うはずの医師が、戦時中という特殊な状況の中であったとしても、どうしてこのような人体実験を行ったのか考えてしまいました。日本を爆撃に来たB29が墜落し、パラシュートで地上に降りたアメリカ兵が惨殺された事件もありました。戦争状態にあったのですから、国土を焦土としていく敵兵を惨殺するのは当然と考えたのかもしれません。しかし、戦争のない世界で生きている者としては、捕虜として生かしておく方法も無かったのかとついつい考えてしまいます。
また、この本では取りあげられていませんでしたが、731部隊が行った人体実験も酷いものでした。戦争は、過剰な被害者意識が人々を異常な心理状態にさせるのでしょうか。戦争については常に考え、戦争に至らないように考えていくことが大切だと思いました。
ものを創る
「ものを創る」 白州 正子 新潮文庫
この作品は、1973年に読売新聞社から刊行されたものを底本としています。戦後間もない頃から、芸術家や骨董の収集家などを訪れた記録となっています。
はじめは、北大路魯山人です。彼は、芸術に対する目利きはすごいものがありますが、対人関係が苦手ですぐに相手を怒らせたり呆れさせたりしています。著者は、葬儀に参列しますが、友人と呼べる人の参列が皆無だったことを記していました。
民芸運動いついては、運動の起こった時の様子から詳しく書かれています。柳宗悦の書いた著作については、以前から読んできました。無名の工人が、芸術性などを意図しないで作り続けた作品の中にこそ、本当の芸術があるという考えに共鳴しました。朝鮮の無名の陶工が作ったものの中に美を見いだしたのは利休でした。そのように、ものを見る目が大切であるとしたのです。
「人と作品」ということで、木工作家の黒田辰秋のことを詳しく書かれたものがあります。彼の木工に対する姿勢を丁寧にたどり、作品ができあがるまでの様子を取材しています。木工作品のすべてを他者に任せるのでなく、自分で何から何まで行う姿勢には感心させられました。木工作品にかける漆についても詳しく探求していました。
別冊太陽に「白州正子の世界」があります。この本には、彼女が関わった人や骨董、能など彼女が関わってきたことがまとめられていました。
また、以前「かくれ里」という作品を読んだことがあります。その中では、住んでいる地域に近い御所市の九品寺付近のことや和歌山県の天野の里のことも書かれていました。これらの里は、彼女が訪れた時とはずいぶん変わっていますが、まだまだ当時の面影が残っているようにも思えました。
骨董品に囲まれて生活をしていましたが、それらのものは鑑賞するだけでなく実際に使うことで、そのものも成長するという考えには賛同してしまいました。
夜果つるところ
「夜果つるところ」 恩田 陸 集英社
「鈍色幻視行」は「夜果つるところ」に関係した人たちが、クルーズ船のスイートルームに宿泊して作品についていろいろと語り合うものでした。登場人物の語りから、「夜果つるところ」の作品の大まかなとことは想像できそうに思いました。しかし、実際の物語は、複雑で思いがけない結末になっていました。
主人公は、山間にある遊郭の墜月荘で育っています。母親と呼ばれる人物は三人いました。産みの母親、育ての母親、名義上の母親の三人です。主人公は学校に通うこともなく、育ての母親から読み書きやその他のことを学んでいきます。絵を描くことが得意で、観たものをそのまま絵にすることができます。この世のものでないものを見たときには、そのまま描くことができます。しかし、思いを寄せた者は絵にすることができません。彼女の絵を見たことで、大騒ぎになったこともあります。実際に「夜果つるところ」を読むと、昭和初期の時代背景も分かるようになります。軍人たちが墜月荘に集まって話し合いをしているのですが、次第に過激なものになっていきます。軍人が起こした実際に起こった軍人たちの事件も思い浮かびました。
主人公が、なぜ三人の母親に囲まれて山間にある遊郭で育てられたのかも分かってきます。また、物語には太宰治を彷彿させられる作家の登場人物も出てきます。
後に、墜月荘は事件を引き起こした軍人たちが立てこもったために、焼失してしまいます。主人公たちは、命からがら脱出しました。続いて、戦後の彼女の生き方も触れられていました。
物語が終章に近づくと、主人公に関わる大どんでん返しが続きます。「鈍色幻視行」では、この作品が二回も映画化が試みられたことが書かれています。しかし、撮影中の火事などの理由で映画化が断念されていたのです。この作品を読むと、物語としてはおもしろいのですが、最後のどんでん返しのリアリティが、難しく感じます。この作品を読んでからは、「鈍色幻視行」の登場人物に混じって、「夜果つるところ」について語りたくなってきました。
鈍色幻視行
「鈍色幻視行」 恩田 陸 集英社
二度も撮影中の事故によって映画化されなかった小説「夜果つるところ」の関係者が集まるクルーズ船の旅が企画されました。この小説の作者の飯合梓は、この小説を書いた後には作品を発表していません。参加者たちは、作者や作品に様々な思いを持っていますが、この作者をはっきりと見た者さえもいませんでした。小説家の蕗屋梢は、このクルーズ船の旅に記録者として参加することになります。
参加者たちは、クルーズ船のスイートルームにそれぞれ宿泊しています。そして、さまざまな場所で、この小説、作者、未完となった映画などについて話し合います。作者との関係や小説についての思い入れについては違ったもので、様々な視点から語られていきます。蕗屋梢は、その話を聞いてフィクションかノンフィクションの形でまとめていくという役割が与えられています。
話の中では、小説の作者が二人いるという説だけでなく、男性であるとの説まで出てきます。「夜果つるところ」については、断片的に参加者たちの話の中から想像ができます。人里離れた場所に娼館があって、そこで一人の子どもが育てられています。関係する母親が三人もいるという設定です。他にも参加者の口から語られることで、この小説のことが暗示されています。
参加者の一人の弁護士の前の妻が、この小説を脚本を書いていたことも分かってきます。この妻は、脚本を完成させることもなく、何の前触れもなく自殺していました。このほかにも参加者たちの過去が語られていきます。
この小説を読んでいる途中から、舞台での演劇を観ているような感覚に陥りました。梢が、関係者と個別に話している場面などは客席から舞台を観ているような気さえしました。映画化が二度も未完に終わった「夜果つるところ」ではないですが、「鈍色幻視行」は舞台化を念頭に置いているのではとさえ思ってしまいました。650ページもある作品でしたが、楽しみながら読み終えることができました。